『文化人・芸能人の多才な美術展』出品者の声 ■鬼塚勝也さん
「SEKAI NO OWARI」 Fukaseさん役所広司さん土屋アンナさん押切もえさん舞川あいくさん
LiLiCoさんネルソン・マンデラ財団TAKAHIROさん鈴木福くんキンタロー。さんコロッケさん
TAKAHIROさん中川翔子さん横尾美美さん渡部陽一さん鬼塚勝也さん中邑真輔さん松本零士さん
熊田曜子さん

■鬼塚勝也さん

ボクシングの元WBA世界スーパーフライ級王者として90年代初期の日本ボクシング界をリードした鬼塚さんですが、今回『文化人・芸能人の多才な美術展』に初出品していただきました。同美術展への参加にあたり、作品の制作秘話や今回の東日本大震災救済応援特別チャリティーについてなど、大変貴重なお話をお伺いしましたのでファンのみならずとも必見です。

Q1.『文化人・芸能人の多才な美術展』実行委員会
この度は、『文化人・芸能人の多才な美術展』にご出品いただき、誠にありがとうございます。
鬼塚さんは、今回の『文化人・芸能人の多才な美術展』のほか、今年1月、2月にはご自身の個展『グローブを筆に変えて』を開催されていましたが、いつ頃からアートの分野で活動をされているのでしょうか?

A1.鬼塚勝也さん
小さい頃から好きで、落書き程度に描いていましたがボクシングを引退して、また無性に描きたくなり没頭するようになりました。
去年にあるギャラリーの方から個展をやらないかと話を頂き、試合に挑むような気持ちで作品を作って、今年初めての個展を開催しました。


Q2.『文化人・芸能人の多才な美術展』実行委員会
今回、鬼塚勝也さんにご出品いただいた作品「HOPE AGAINST HOPE」ですが、この作品ではどのようなことを表現されているのか教えていただけますか?

A2.鬼塚勝也さん
「HOPE AGAINST HOPE」〜望みを捨てない〜という意味ですが、望みなき時もなお望んでいくという想いで、心が折れそうな時にも目につくように自分のボクシングジムの壁にも描いているメッセージなんですよ。


Q3.『文化人・芸能人の多才な美術展』実行委員会
「HOPE AGAINST HOPE」の制作にあたって、エピソードや秘話があったら是非とも教えてください。
また、作品のどのような点に注目して欲しいですか?

A3.鬼塚勝也さん
当初、震災前に美術展のお話を頂いて、作品を作っていましたが震災後、日に日に被害の大きさが増していく状況に手を動かすことができない時期が続きました…
開催されるのかも不安でしたが、実行委員長の方から東日本大震災救済応援特別チャリティー企画として作品を発表すると連絡があり、一度塗っていた色を塗り潰して新たに描き始めたのです。
1番気を遣ったのは色合いで、軽すぎず、でも暗くならない痛みを受けた後に出る重厚な明るさみたいなものを表現できればと思い、下に何層も黒を重ね、その上から空の様な青を細い筆で塗っていきました。でも、コンセプトという頭の理解よりは、子供たちが観て元気になれるような絵になってくれればと思っています。


Q4.『文化人・芸能人の多才な美術展』実行委員会
今年の『文化人・芸能人の多才な美術展』は、東日本大震災救済応援特別チャリティー企画として開催することになりました。鬼塚さんには同美術展の趣旨にもご賛同いただけたことと思いますが、何か被災地の方々に向けて応援のメッセージをお願い致します。

A4.鬼塚勝也さん
正直言って、被災地の方々に絵を観る余裕など無いと思いますし、アートは生活の基盤がちゃんとできてからの話とも思います。
でも、日本の皆様が自分に出来ることを探して支援に力を合わせていますよね。
今回の『文化人・芸能人の多才な美術展』のように、これだけ大勢の方々の作品が一同に観れるチャンスもなかなかないと思います。多くの作品が集まるパワーは凄いと思いますし、著名な方々の美術展ということで普段あまりアートに関心のない方にも楽しく観て頂けると思いますよ。
観て頂いた方もそれぞれの環境があると思いますが、何かを感じ、これからの復興の力となってくれることを願います。


Q5.『文化人・芸能人の多才な美術展』実行委員会
最後に、ファンの方に向けて一言どうぞ。

A5.鬼塚勝也さん
今回はこの美術展に参加させて頂き、感謝しております。
僕は絵を勉強したこともないし、自分で上手く描けるとも思っていません。ただ、自分の経験したことは僕だけのもの。今まではそれをリングの上で、これからは作品として表現できればと思っています。

鬼塚勝也プロフィール
1970年、福岡県北九州市に生まれる。
10才の時に“世界一強い男”を目指し、ボクシングの世界チャンピオンを夢見るようになる。14才でボクシングジムに通うようになり、翌年には全国大会出場。高校在籍中、東京でプロテストに合格し九州から東京へ上京。20才で10RTKO勝ちで全日本チャンピオンとなる。月間MVP選手受賞。
その後、WBA世界スーパーフライ級王者となり5度の防衛に成功。
「SPANKY(スパンキー)K」という愛称でファンから慕われつつも、1994年、網膜剥離により引退。
その後、ロサンジェルスにて保父として幼稚園で働き、子どもとの触れあいから新たな人生の素晴らしさを再確認する。日本に帰国後は、人と共に成長できる空間をという想いから、福岡市に「SPANKY・K SACRED BOXING HALL」を開設。会長として指導にあたっている。
現在、TBSボクシング番組では世界戦などの解説を務める傍ら、ファッションデザイン、アート活動を精力的にこなす。